2009年10月15日

マクロ ビオティック その1

マクロ ビオティックとは事情に新しい言葉に聞こえますが、マクロ ビオティックではなくSのとれた、マクロビオティックス(macrobiotics)という言葉自体は、何と!紀元前のギリシャの医学の父とよばれるヒポクラテスの著したエッセイにあるようです。

健康で長寿な人を表す言葉として、そのエッセイでヒポクラテスは、マクロビオティックスを用いました。

その後、マクロビオティックスという言葉は、アリストテレス等は健康促進や長寿の助けとなる簡単なダイエットを含むライフスタイルを表す言葉として使われていました。

伝統的に長寿を誇るインカ帝国や漢王朝でも、マクロビオティックスという健康方法論は用いられていたと、マクロビオティックス支持者達は主張します。

時代は紀元前から近代に一気に移り、マクロビオティックを開花させた、当サイトの主人公George Ohsawaこと桜沢如一氏の登場となります。

京都府の貧しい武士の家系に生まれ、父に捨てられ母に育てられますが、その母も若くして結核で逝き、その後二人の妹も弟も結核で亡くなりました。

貧窮の中で職を転々としながら、家族と同様に結核に苦しみ、生死をさまよいました。二十歳の頃、食養家であった後藤勝次郎氏を通じ、石塚左玄氏の「食養生」に触れたことにより、その健康を回復したという桜沢如一氏は、中国と日本の民間で使われている薬から伝統的な健康論を確立させるのです。

粗食であっても、肝心な栄養素を採ることが健康そして長寿の秘訣であることを理論づけたのです。
posted by makuro at 15:51| マクロ ビオティック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

マクロ ビオティック その2

George Ohsawaとは日系人の名前のようですが、何故、桜沢如一(さくらざわ かずゆき)氏は海外で、George Ohsawaと呼ばれるのでしょうか・・・

氏名を音読みにしてペンネームとしたという解説が一般的ですが、そのままでは、JOICHI OSAWA となるはずです。

当時、ローマ字運動という運動があり、文字を理解しやすくして教育のレベルを高めることを目的としたそうです。桜沢氏は、このローマ字運動に参加したようですが、その語学的感覚も並々ならぬものを感じさせます。これは後述するフランス語でも同様です。

通常のヘボン式であれば、OSAWAとする処を母音の伸びを「 H 」を挿入して表したり、如一=ジョイチでは欧米人に馴染みの無い響きで発音もしにくかろうと、これを欧米人にとってなじみ深いジョージにしたのではなかろうかと私は推論します。

伸びる母音の次にHを入れる表現は、あのジャイアンツの王貞治選手の現役時代に日本では流行りましたが、1929年以前の遥か昔に桜沢氏は利用していたと言うのも驚きです。

これは司馬遼太郎さんの受け流しですが、日本にヘボン式をもたらしたヘップバーン氏も、ヘップバーンでは日本人の語感に会わないと、自らの名前をヘボンと発音させたという逸話を彷彿とさせます。
posted by makuro at 15:43| マクロ ビオティック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクロ ビオティック その3

陰陽原理から、石塚左玄氏のナトリウムとカリウムの陰陽食養原理とを合流させた、「 宇宙は陰陽の秩序をもって展開する 」で始まる無双原理を桜沢氏は、提唱しました。

1929年に、この無双原理を携えパリに渡りますが、パリでの生活は、糊口をしのぐために野草や市場のくず野菜を食べる生活から出発したと言われています。まさに、マクロ ビオティックを信じて実践したという感じがします。

「ソルボンヌ大学に留学」という解説もありますが、パリで開催されていた青少年の健全育成のための万国学生夏期講習キャンプで炊事役としてマクロビオティックの腕を振るったことがきっかけで、ソルボンヌ大学で食養の講演をしました。

その講演が話題となり、フランスの資産家などに食養の指導や日本文化を教えることで生計を立てるようになったというのが事実のようです。

そして渡仏した同年に、フランス語で『 Le Principe Unique de la Science et de la Philosophie d'Extreme-Orient (東洋哲学及び科学の根本無双原理)』を発行しています。

桜沢氏のフランス語学習に関して詳しい資料を私は目にした事がありませんが、渡仏したその年にソルボンヌ大学で講演をしたり、フランス語で本を刊行するなど、桜沢氏は語学の天才でもあったようです。
posted by makuro at 15:31| マクロ ビオティック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクロ ビオティック その4

フランスで、勿論フランス語で『東洋哲学及び科学の根本無双原理)』を発行した後、日本に帰国した1937年に日本でも『食物だけで病気の癒る・新食養療法』を刊行するや、たちまちベストセラーとなりました。

1953年にはインドへ、1955年にはアフリカにシュバイツアー博士を訪ねています。

シュバイツアー博士にはマクロビオティック理論を実践した治療は理解されませんでした。

1959年、齢66歳にして弟子を引き連れアメリカはカリフォルニアに移住しマクロビオティックの普及に努めました。
アメリカで引き続きマクロビオティックの普及に尽力した弟子たちは、アメリカではとても有名です。

1964年には、人体にも体内で自ら必要な成分を作り出す能力があると、自ら考案の装置で、Na → Kの低温低圧原子核転換を成功させたました。しかし、残念ながら、その客観的な真偽は解明されていないようです。

1966年、里真夫人と昼食中に心筋梗塞で倒れそのまま息を引き取りました。亨年73歳でした。

この亨年73歳という年齢が、長寿を目指すマクロビオティックの提唱者としては、短か過ぎるのではないかという批判もあるようです。

その批判にに対しては、1938年に桜沢氏と結婚しマクロビオティックの普及に尽力した里真夫人の人生で対抗できるです。

彼女はマクロビオティックを実践し続け1999年に無くなりましたが、享年は堂々百歳でした。
posted by makuro at 15:24| マクロ ビオティック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクロビオティック レシピ

マクロビオティックには食事法の八カ条があります。
これを実践しないとマクロビオティックの食事とはいえなくなるのでしょう。これを覗いて見ると;

その一:精白された砂糖、ジュースなどの甘味飲料、着色食品、無精卵、瓶・缶詰めなどの工業的な食品は食べないこと

その二:化学肥料や農薬、遺伝子組み換えなどで人工的に生産された野菜やハウス栽培などでできた季節外れの野菜、果物は食べないこと

その三:海外などの遠方から来た食物はできるだけ食べないこと

その四: 香辛料や化学調味料をとらないこと
     自然海塩や伝統的製法の醤油や味噌を用いる
その五:コーヒーや刺激の強い紅茶や緑茶、アルコールなどはあまり飲まないこと

その六: 鶏肉、豚肉、牛肉、バター、チーズ、ミルクなどの動物性食品は避けること 新鮮な魚介類ならたまに食べても良い

その七: 食事の際はよく噛んで食べること。一口50回以上、できれば100回噛むことを心がける

その8: 料理の仕方はマクロビオティックの料理本を参照すること

いかがでしょうか?鶏肉、豚肉、牛肉、バター、チーズ、ミルクなどの動物性食品が駄目だとすると、かなり厳しいレシピになりますね。

おまけに、「 料理の仕方はマクロビオティックの料理本を参照すること」とあるので日本CI協会などの料理教室等に通わなければなりませんね。

LIMA COOKING SCHOOLという、桜沢夫人の里真さんの名前を冠したクッキングスクールのメニューをご紹介すると;

玄米の炊き方、雑穀入り玄米の炊き方、だしの取り方、味噌汁、清まし汁の作り方、ごま塩、きんぴらごぼう、ひじき蓮根、切干大根の煮物、青菜のおひたし、コーフ−の作り方、レーズンクッキー、葛餅、リンゴの葛餅

とあり、何だか少し寂しいですね。
posted by makuro at 13:27| マクロ ビオティック レシピ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする